5月31日の日記

2007年5月31日
テレビで結婚式を放送するなんて悪趣味ですね。誰がみたがるんでしょうかね。ネットでそれの意見収集していたらいろいろ考えさせられました。
なんでも今回テレビ中継された結婚式には5億円ぐらいの金がかかっているそうです。新婦は人道活動が好きな人なようで、クソみたいな結婚式に5億円もかけるのなら人道活動に少しでもまわせばみたいなことが書かれていました。言われてみて思ったのですが人道活動を敷居の高いものにする活動を行っている人がいるのはなんでなんでしょうかね。人道活動をする人は無駄なことに金を使ってはいけないといった風潮が見られます。別に、10万円ある小遣いを100円を外国の貧しい子供に寄付して、残りの9万9900円をパチンコに使ったとしてもそれは批判の対象にはならないと思うのですが、なんか世間の空気は、寄付する人、人道的な活動をする人は、道徳的にすばらしいことしかしてはいけない、ましてやお金を無駄遣いするのはもってのほかみたいな空気が流れているような気がします。例えすずめの涙でも人道活動は積み重ねのプラス評価すべきだと思うのですが、すばらしい人間像からマイナス評価されているような気がします。どうにかしてプラス評価に変えることが出来れば人道活動の敷居が低くなるんじゃないかな。
そんなこんなで5億円結婚式結局のところはいくらかかったのでしょうか。確かに総額は5億円ということになっていますがテレビが絡んだからの価格なんでしょうか。それともテレビが絡んだのは金がかかりすぎてテレビにスポンサー集めをしてもらうしかなかったからなのでしょうか。出席者のテレビ出演のギャラ込みだったら面白いのにね。

あと、テレビタレントって永遠に働き続けなければいけない仕事なのかね。今回、新婦の藤原さんは中年だったので落ち目だ、有終の美を飾れたとか散々酷評されていました。確かにそうかもしれませんが、もう一生を生活する分の貯蓄は出来ているんじゃないかね。
人生設計としてあと悠々自適に生きていけるのなら40歳前にドロップアウトできるなんて最高に絶賛されてしかるべきなのにね。

5月30日の日記

2007年5月30日
責任の所在がはっきりしなくなってきている。
例えば、子育てだろうか。子供が勉強ができなかったりしつけがなっていないのは誰の責任なんだろうか。昔なら問答無用で育ての親が悪いとなった。しかし最近は様々なところに子育てを委託するようになったので誰が責任を取るかはっきりししなくなっている。
親戚の教育ママは、子供がテストで悪い点を取ったときにそのとき雇っていた家庭教師に苦情を言ったそうである。まあ心情的には理解できるかもしれない。親のエゴを押し付けて子供がいやいや勉強しているのは知っているので点数が悪いと子供を叱ってもしょうがない。それで気分を害して発狂しては仕方が無い。だから、弱い立場の家庭教師に愚痴ってたのかね。
他にも事件が起きた時に警察が叩かれる可能性が増えた気がする。警察は事件を抑止することまで求められているのだろうか。そのわりに予防拘禁などに関しては激しい拒絶反応を示す人も沢山いるようで一貫性が無いように思われる。現状のまま警察に犯罪抑止まで求めるのは酷じゃないのかね。
そんなこんなで、昔なら自業自得やしょうがなかったで片つけれたことが、人のせいにしやすい環境が出来つつあるようだがこれは国の行く末としていい傾向なのかね。

私が最近ろくなこと思いつかないのも私の心を踊らせるような事件が無いのがわるいんです。誰かすごい事件をおこしてください。

5月29日の日記

2007年5月29日
最近テレビで行われている勝負などに負けると食事を食えないという罰は成立してるのだろうか。確かに他の人が美味しそうに食べてるのを指を咥えて眺めてるのはそれだけを見れば罰ゲームになっているような気もする。しかし、そもそもとして美味しい食事をするという仕事ってどうなんだろうか。仕事として食事を食べれなかったとしてそれを不満に思う人なんているのだろうか。そもそも食べることが仕事なんて人が少数だろう。また、もし食べることが仕事の人だったら食えないことがあってもたいしていやじゃないんじゃないかね。
もっと言えばなんでも食べたら美味しいといわなければならない、食べる立場の人の方が罰ゲームを受けているのではないだろうか。テレビに出演するような人は食いたいものも食えないほど貧乏なのだろうか。別に食いたかったら自分で金を払って勝手に食えばいい。何か嫌なことをさせるのが罰ゲームというものではないだろうか。何かをさせてもらえないという罰ゲームは、割に合うと思えば自腹で出来る。
ソープ嬢がインポの客に指名されでセックスを求められずに会話することを求められたとして、セックスが出来なかったソープ嬢はセックスがしたかったと思うのだろうか。

なんか最近テレビは本当はそんなに嫌じゃないこと嫌そうにする、逆に本当に嫌なことは表に出さないようにする傾向が強くなってきているのではないだろうか。

5月28日の日記

2007年5月28日
田舎出身の大臣が自殺したらしいですが、なぜ誰も安倍首相の任命責任を問わないんでしょうかね。普通、大臣が病気など以外を理由に辞職すると首相の任命責任が問われます。今回なんて、不祥事で辞任するよりも問題でしょう。大臣の器がでは無い田舎もんが大臣に任命されたせいで、自殺で不足部分を埋めるしかなかった。
不祥事起こして説明責任もはたさず自殺するようなクソをなぜ大臣に任命したのか、安倍首相には責任をとって自殺してもらいたいですね。首相が自殺したらなぜ自殺するような人を首相に選んだかと言うことで、国会議員の先生方に自殺してもらいたいです。ついで、何で選挙で自殺するような人を国会議員として投票したのか、その責任を取って投票した人は自殺してくれるといいです。あと生き残った人もついでに自殺してくれれば言うことないです。みんな死ねばいいのにね。

マスコミが流す情報は偏ってるのかね。とある翻訳本を読んでいたら書いてあったのだが、日本のプロ野球には在日外国人の人が複数人所属していて、自分の出生を隠して日本人としてプレーしているらしい。そういった人たちは日本の国籍を持たないのでオリンピックに日本代表として出場できないらしい。オリンピック代表を辞退している人の中にそういった在日外国人の人たちが含まれているらしい。
しかし、私が知る限りオリンピック代表入りを辞退する人は一様にけしからんと言うことになっているのではないだろうか。別に国籍の関係で出れないのならしょうがないだろうに。

5月26日の日記

2007年5月26日
まずは死んで謝ってもらえないだろうか、話はそれからである。何について謝るのかよくわからないが。
最近、出来ちゃった結婚が増えてるのは、男女共に相手が不妊症かもしれないというリスクを認識したためではないだろうか。流産は対処できないが、無精子症や排卵障害といった不妊症には出来ちゃった結婚で対応できる。ただ男側の問題として本当に自分の子供かどうか妊娠した時点ではわからない。女性は妊娠した時点で自分の子供だと分かるのに男は生まれてDNA鑑定でもしないと自分の子供とは確定できない。これはすこし不公平ではないだろうか。そこで思ったのだが、人工授精した卵を男のチンコに仕込むことは難しいのかね。その状態でセックスするとなんと女性は他の人の子供を孕む可能性がある。まあ何も生むものがなく、必然性がないのでそんなことする人はいないですか。でも生んだら自分の子供じゃなかったなんてショッキングじゃないですかね。ショッキングな出来事目当てで生きている人なんていないか。

ふとおもったのだがアウン・サン・スー・チーさんって、ひきこもりニートですよね。ここ何年も家から出てないなんてそうとうなひきこもりのオタクですよ。そんなんでノーベル賞がもらえるんだから、アウン・サン・スー・チーさんって日本のひきこもりニートの希望の星ですよね。

5月25日の日記

2007年5月25日
ドラえもん殺人事件というミステリーのあらすじを考えた。誰か、天国にいると思われるqあwせdrftgyふじこ先生に二次使用の許諾をとりに行ってはもらえないだろうか。
ドラえもん殺人事件は本格派密室ミステリーである。実際のところ本格派がどんな分野か知りませんが、密室に死体があればミステリーでしょう。トリックしか考えていないのだが、死体はどこでもドアの出現先に人間がいて急に出現したどこでもドアによって体を切断される事によってつくられる。バラバラ死体が邪魔をしてどこでもドアの扉は開かない。のびたちゃんはどこでもドアが壊れてしまったと思い、直接尋ねていくとそこでバラバラになった死体を発見する。まあそんな感じで事件は始まる。仮想時空犯罪者を想定して探偵まがいのことをはじめるのびたとドラえもん。故障箇所がわからなかったどこでもドアの使用再開で移動する先々で発見される切断死体、死体の切断面は今の技術では到底再現できないほど滑らか、のびたとドラえもんは自分達の行く先々で次々見つかる切断死体に恐怖するのだった。
第2回は神隠し事件でいいかな。
まあそんな感じです。ここからえられる教訓は、実用レベルの瞬間移動装置を作るためには、千里眼のような透視術や遠隔地の空間認識が必要になるということである。同様にタイムマシンの場合は、未来予知や過去を知る技術が必要になってくる。何でもありそうなSFの世界にもそれぞれの技術や能力に上位の技術や能力と下位の技術や能力があることがわかりました。

5月24日の日記

2007年5月24日
なぜ詐欺をする人は法律を使いたがるのだろうか。過去に体験した詐欺電話では、「個人情報保護法案の関係で教えることができません」と言われたり、「入会するには、持ち逃げ防止の為にお金を担保として預けてもらわなければならない。しかし、出資法で資格の無い私達がお金を預かるのは認められていないので、入会金と言う形で入金していただきたい。勿論、落ち度が無い場合退会の際に退会金として入会金相当額を返還するので問題ありません」なんていわれたこともある。他にも何かあったかもしれないが詐欺師は法律を絡めて自分を正当化するのが好きなようである。
そんなこんなで最近まったく新しい種類の詐欺にあった。入会すると売春を斡旋してくれるという店があった。入会する際にいろいろ説明をしてもらったのだが、その店では売春婦のことを売春士とよんでいた。何でかなと思い聞いてみたら「男女雇用機会均等法の関係で売春婦という言葉を使えなくなってしまった」という話だった。今になって思えばなんだそれと感じますがその時は気分が高揚していたこともあって普通に納得してしまった。さて無事入会を果たして売春士を斡旋してもらったのだが、なんとやってきたのは男性だった。私はバイセクシャルではないので男が着てもらっても困ると違う人にチェンジして貰おうとした。そこで知ったのだが、チェンジにもお金がかかるということだった。まあしょうがないと諦めて「次は女性を・・・」と要求したら「当店ではそういった指定は出来ません」と言われて騙されていたことに気がついた。
何でこんな手の込んだ事をするのかね。どう考えても金目的より騙しを目的としている感じがする。そういわれてみれば普通の詐欺も同様である。何で詐欺師は善人ぶって手の込んだことをして騙そうとするのかね。

思ったのだが本気で金が欲しいだけだったら、前日、不審火で火事があった地域の電話帳情報を図書館などで手に入れて、平日昼間にかたっぱしから電話をかけていけばいいのではないだろうか。電話では「最近近所で不審火があったことを知っているか。てめーの家に火つけられたくなかったら金を振り込め。俺は借金でクビがまわらなくなってるからもうどうなってもいいんだ。もし警察に連絡してみろ、お前を殺しに行くからな」こんな感じに、自分は自暴自棄になっていてどうでもいいということを伝えたうえで最初から脅迫すれば、金を振り込んでくれる人もでてくるのではないかね。
最近キチガイも増えてきたので、自分に何の落ち度がなくてもキチガイの蛮行で不幸におちいることが起きるようになってきました。だから急にキチガイから金払わないと家に火をつけるという電話がかかってきてもそれほど違和感なくなったのではないでしょうか。
そんな感じで最初から全力でぶち切れて恐喝する詐欺師がメジャーじゃないのはなんででしょうかね。詐欺罪より恐喝罪のほうが罪が重いのかな。
今にナンバーディスプレイのついていない固定電話を使用する際は、電話する旨を電話で相手に伝えないと電話にでんわになるんでしょうか。

5月23日の日記

2007年5月23日
世の中凄い仕事もあるものですね。離婚したい女性の依頼を受けて旦那と不倫する仕事があるそうです。何でも旦那側が不倫していることがわかると有利に離婚協議にいどめるそうです。また条件によっては、離婚の際払われる慰謝料で不倫依頼の料金を払うプランもあるそうです。
依頼の際にある程度旦那の趣味趣向や個人情報を教えてもらい、それを元に巧妙にシナリオが組まれるので、多くの男性人は自分にモテ期がやってきたと勘違いして騙され不倫を行い、離婚へと向かっていくそうです。
今日本でもおとり捜査を認めようという話があるらしいですが、こういう話を聞くとおとり捜査に疑問を感じてしまいますね。確かに不倫はいけないことですが、据え膳食わぬは男の恥という言葉もある事ですし同情したくなってきます。
さてここまで書いてきて気がついたのですが、この女性の仕事ってエージェント見たいに感じてかっこよく思えますが、金を払う人は違いますが金を貰ってやっているだけなので端的にあらわすと売春婦ってことになるんですかね。英語でビッチですか。なんか一気に箔がとれてしまった感じがしますね。

5月22日の日記

2007年5月22日
いつの間にか気がついたら、燃えるゴミが燃やせるゴミに変わっていた。昔なら、燃える燃えないとは何ぞやと文句も言えたのに、もう燃えるゴミは時代遅れなのかね。さて計算尺のように実体は無くなっても言葉だけは生き残れるのか、死に絶えてしまうのかどうなるでしょうか。将来、姪や甥に「燃えるゴミに捨てくれ」とか頼みごとをするとポカーンとなってこのキチガイは何を言ってるんだという目で見られるようになっちゃうのかな。世知辛いですね。

ネットで作家の生の声を聞く機会が増えてきたからだろうか。多くの作家が、自分の書いた小説がテストの長文問題に採用された時に試しにその問題に挑戦して、その時登場人物が何を考えていたか?などの登場人物の感情を問う問題を間違ってしまったという話をよく耳にするようになった。
私もこういった空想を働かせて解く問題には苦戦させられたくちでした。大体の場合、登場人物は登場してからずーとトイレに行っていないので、私はそういった問題があった場合は「あー小便したいな、どこかに便所は無いかな、たっしょんしてしまおうかな」と回答していたのだが、一度も正解になったことは無い。登場人物になりきった結果の尿意だったのにな。絶対俺が登場人物だったら小便を我慢していると思う。そう考えてわかったのだが、私は小説の登場人物になりえない。もしかしてなったとしてもそれがテストの長文問題に採用されることなんてありえない。いわば、テストの長文問題に採用される小説の登場人物は小説界のアイドルなんだろう。だから便所行かないんだな。と納得していたのに、現実の方が曲がってしまった。なんと小便もウンコもしないと思っていた某アイドルが先日妊娠してしまった。小便やウンコはしないのにフェラチオやセックスはするってどんな肉便器なんだよね。あーもうやってられないよ。
そんなこんなで、今に国語の長文問題に出される登場人物の感情を問う問題はきっと近いうちに『このとき、Aはどう思っていたと一般的には考えられるだろうか?』のように、Aが直接どう思っていたのかを問う問題から、Aが世間からどう見られているかAの感情を間接的に問う問題に変わっていくんじゃないかな。

たまには役に立つかもしれない事でも書いておきます。お湯で溶いて飲む粉状のコーンスープを飲むとカップの下にかたまりが残っていたりして死にたくなることがあります。いつもそのかたまりを見て思い出すのですが、カップにお湯を先に入れて粉を後から入れれば綺麗にコーンスープは溶けます。なぜ、箱に書いてある作り方は粉を先に入れてお湯をあとで注ぐ形にしたのかね。絶対、粉をあとで投入するのがお勧めです。しかし、年に1度くらいしか飲む機会が無いので覚えてられないのよね。

5月21日の日記

2007年5月21日
社会の一線から転身した人に対して、こんな優雅な生活を捨てて彼は転身しました。みたいな人物紹介がおこなわれるときがある。ただの私のひがみややせ我慢かもしれないが、そういった生活を見ても全然うらやましくないのだが、それは一般的ではないのだろうか。煙か馬鹿ならいざ知らず、高級マンションの最上階付近に住むことにまったく魅力を感じない。防犯上の観点から高いところに住みたいという意見ならまあ納得できるか。広い部屋が沢山ある物件にもまったく魅力を感じない。広い家ってどんな利点があるのだろうか。まあ狭すぎるのは問題で広すぎても使わなければいいだけなので問題ないのかもしれないが、広い物件にあこがれている人はどのような感情なのかね。そんな住むところに無駄な金を使うぐらいしか金の使い道が無い人が幸せな生活だとは到底思えない。あーきっと私は金持ちの成功者をひがんでいるだけなんだろう。

5月20日の日記

2007年5月20日
ふと思ったのだが今だに黒人の奴隷制度があれば、アフリカで餓死する黒人はいなくなっていたのではないだろうか。もし、食費+最低賃金以下の労働力でアフリカの餓死しそうな人を言葉は悪いが奴隷として雇えるのなら雇いたい経営者は沢山いるのではないだろうか。もし今も奴隷解放が行われていなくて奴隷制度が継続していたら、アフリカで餓死する人はもん凄く減っていたのではないかね。まあ救いは例え生き延びれるとしても奴隷で生き延びれるのは幸せじゃない。また奴隷を労働者として雇うことで自国民の失業者が増えるということでしょうか。
それにしても、労働組合とか、労働者側の人間ってアホばっかりなんですかね。労働条件が悪くなると、外人労働者の導入やら賃金の減少には烈火のごとく反発します。しかし、雇用環境の影響で言えば、労働者の一番の敵は機械化です。何で機械を否定しないのかね。してるけど私が知らないだけなのかね。
どう考えてもこのまま単純作業や業務の一部を機械化していったら、求職している人をすべて雇うことが出来なくなっていくのではないでしょうか。売れる商品があるから人を雇って製造するのか、買いたい商品があるから人は雇われて働くのか、どちらが先かはわかりませんが、このまま機械化が進んでいくと、働きたくても働き口がなく金が無く商品が買えず、商品が売れなくなるなんてことになるのかね。

今日も適当な落ちを考えれなかった。ユーモアを身に着けるためには過酷な環境が必要なのかな。せめて自分の発想だけでも面白いことを考えていないと他の楽しみが無いという環境にいないとユーモアはみにつかないのかな

5月19日の日記

2007年5月19日
田舎に住むのは、それだけで贅沢なことなのではないだろうか。
贅沢かどうかを判断するのに便利か不便かなんて関係も無いと思う。インスタントコーヒーとサルのウンコから取り出したコーヒー豆を使って水出ししたコーヒーどちらが贅沢だろうか。たぶん後者の方が物凄く作るのはめんどくさいが贅沢だとされるのではないだろうか。まあコーヒーに何の興味もない私はそんな贅沢なコーヒーのありがたみなんてまったく分からないが。
田舎暮らしも同様のことが言えるのではないだろうか。田舎のユニバーサルサービスを維持するだけでも物凄い金がかかっている。

話は変わるがワーキングプアーの人はもっと田舎に逃げればもう少しましな生活できるのではないだろうか。問題は今より仕事がキツクなるというだけである。例えば田舎で林業の会社に就職をすれば生活に困らないほどの給料が出ると思う。まあ現状より10倍は仕事がきつくなるだろうけど。ワーキングプアーの人がしている仕事は楽なものばかりだと私が感じてしまうのは私の周りの職場環境がわるからかね。少なくともどんなに就職難であろうと先進国になった日本ではきつい仕事が敬遠されがちで、きつければきつい仕事ほどいつでも人不足である。あまりに過酷な労働に見合った給料がでているのかは疑問だが、少なくともそういった仕事をしていれば生活に困らないほどは給料が支給されている。ワーキングプアーを働いてるけど生活が楽にならない人たちとしているけど、少なくとも胸を張って働いているといえるほど働いているのかね。例え毎日15時間労働しているって言っても、そんなものは時間が長いだけで水で薄めたアメリカンコーヒーみたいなものではないかね。本気で過酷な労働は10時間もしてればいっぱいいっぱいになってしまうと思う。
何が言いたかったのかまったく分からないが、田舎の求人情報をさがせば、コストの安い田舎で普通に生活できるだけの給料をだす人不足の会社はあると思う。ただ問題として、その会社に就職して普通の水準の生活ができるようになったとしても、労働が過酷過ぎてワーキングプアーより楽とは限らないって事なのかね。
もう今はトヨタの期間工なんて募集していないのかね。ワーキングプアーって実際のところ安くて楽な仕事しかしていないってことではないのかな。

5月18日の日記

2007年5月18日
あさま山荘事件から35年ぐらいたちましたか。私はここ数十年で日本は技術的に物凄く進化したと思っていました。しかし現実は35年前とたいしてかわっていないのかもしれませんね。銃を持って立てこもっていることが分かっているのに、特殊部隊の人が銃殺されてしまいました。これが銃規制されている弊害なんでしょうかね。ニュースで見る限り特殊部隊員の着用していた防弾チョッキは通常タイプのものでした。通常タイプの防弾チョッキは本来、確実に打たれることが想定された場面で着用するものではなく、日常的に着用して不意に銃撃された場面で着用者の命を守るためのものです。そのため、防弾チョッキを着用して普通に日常生活が送れるように必要最低限の部分しか防弾されていません。
今回、犯人が銃を持っていて撃ってくることは想定されていたと思います。にもかかわらずなぜ完全防弾で挑まなかったのでしょうか。今回の事件では特殊作戦を遂行するわけでもないので、隊員の機動力が低下しても何の問題もありません。別に戦争するわけでも行軍するわけでもないので防弾装備が40キロだったとしても何の問題もありません。にもかかわらず何でSATはあんなに軽装だったのでしょうか。
完全に防弾できる装備が無いのでしょうか。しかし、昔アンビリーバボーという番組で紹介されていたアメリカの銀行強盗は、防弾された全身のライダースーツと防弾されたフルフェイスのヘルメットをかぶって警察と銃撃戦を繰り広げていました。その銃撃戦もはんぱではなく、撃たれることを警戒する様子もなく普通に道の真ん中に立って、パトカーの陰から警察官が撃ってくる銃弾を全身に浴びていましたが、彼は致命傷を受けることはありませんでした。
銃社会のアメリカにはそんなに優れた防弾装備があるのです。なぜ日本もそういった防弾装備を用意してなかったのでしょうか。確かにたまにしか発生しない銃を持った立てこもり事件の為に全国にそんな防弾装備を配備するのは無駄かもしれません。しかし立てこもり事件なんて発生後10時間は解決しないので、別に全国に配備しなくても20着ほど東京に用意しておけば、事件発生後全国に運べます。ホントなんで犯人が銃を持っていて撃ってくるのが分かっているのに軽装な防弾チョッキで対応するのでしょうか。銃社会じゃない日本では銃の危険性がにんしきされていないのでしょうかね。

ちなみに、弾幕をはって犯人の銃撃を阻止すればなおよかったのにね。警察の火器では力不足かもしれませんが、犯人が立てこもっている建物の窓という窓すべてにありったけの砲撃をしつづけていればその間は犯人は銃撃できなかったのではないですかね。その銃撃する銃がマシンガンだったりしたら、もう私は中継を見るだけで血肉が沸きあがったとおもうんですけどね。そこらの作り物の映画よりインパクトがあるのは確実です。

まあそんなこんなで、結果論ですが本気で犯人が撃ってくることを想定していればSAT隊員が死ぬこともなかったんとちゃうかな。

5月17日の日記

2007年5月17日
ありえない事件をおこすと裁判官はどうそれを評価するのだろうか。ふとこんな事件あった怖いなーと思ったのは、人通りの少ない道路で歩行者を後ろからいきなりバットで殴りつけて気絶した歩行者から金玉を盗む通り魔事件なんてどうだろうか。翌日、警察署に出頭して金玉を盗んだ理由を、なれない強盗に焦ってしまい、金と金玉を間違って盗んでしまったと供述すればどう評価されるのかね。ブログのネタとしてなら金と金玉を見間違ったと言ったとしてもまあなんとか納得できますが、現実世界で金と金玉を間違ってしまったという意見は通るのだろうか。
まあ今日は金玉金玉言いたかっただけなんだけどね。

5月16日の日記

2007年5月16日
森進一さんがおふくろさんの歌詞をかえて歌っていたことに腹をたてた作詞家が強権を発動して森進一さんがおふくろさんを歌うことが出来なくなってしまいました。ふと思ったんですけどこれってかなり危険なことじゃないですかね。もし、歌の下手な歌手に作曲家が、「あなたは私の曲を勝手に改変して歌っている。それは私の作曲した曲を冒涜する行為だ。そんな奴に私の作曲した曲を歌わせたくない。」こんな事を言い出したらどうするのだろうか。音痴の人は、飲み屋のカラオケで歌う権利を剥奪されてしまうのだろうか。
まあそれはそれでいいことなのかもしれないな。

私は今まで間違っていたかもしれない。今の今までプロスポーツ選手が活躍するために必要なのは、第一に才能、第二に努力、第三に運だと思っていた。どんなに努力しても才能の無い人はダメだと思っていた。しかしそれは間違っていたかもしれない。
例えばボクシングの亀田3兄弟は、物凄く若いうちからボクシングを始めてそれ以降そのほかの生活を捨てて長時間練習したことによりボクシングが強くなったと思われる。より若いうちから練習をはじめ年上の兄と一緒にトレーニングした三男が一番有望らしい。その次は次男だという噂である。
他の例でも、卓球の福原愛さんもたぶん同世代卓球選手と比べれば圧倒的に卓球に費やしてきた時間が長いのではないだろうか。ゴルファーだと、女子ゴルフの宮里藍さんや横峰さくらさんが長時間のトレーニングで成功したくちだと思われる。むかしで言えばタイガーウッズなんかもそうではないだろうか。
こんな例からマイナースポーツでは、若いうちから努力さえすれば才能なんて関係無さそうだとは思っていたのだが、さすがに野球やサッカーといったメジャーなスポーツでは、選手人口が多いのでいくら努力しても、それ以上に才能のある人がでてきたらその人に勝てないんだと思っていた。しかし、イチローの本を読んでいて間違いに気がついた。イチロー選手は、小学校の頃から尋常じゃないほどの時間を野球に費やしてきたみたいである。学校以外の時間はすべて野球のトレーニングと言っていいほどの練習を小学校低学年のころからしていたらしい。基本的には3:30に学校が終わってから暗くなるまではグラウンドなどで父親と練習をして、その後夕飯を済ませてからは、バッティングセンターが閉店する11時くらいまでは、バッティングセンターで練習していたらしい。
もし私がイチローに生まれ変わって、イチローと同じ練習をしていけば、今のイチローと同じになれるという確約があったとしても、私にはイチローがしてきた練習なんて出来ないと思う。将来毎年10億円もらえるとしても、イチローと同じ練習は出来ないと思う。
私は、イチローを才能があって成功したと根拠もなしに思っていたが、たぶん同年代で彼が一番長く野球をしていた、その結果が今の成功だと思う。
多くのスポーツの場合、効果のある練習した時間の長さでその人の力が決まってくるのではないだろうか。たぶんみんながみんな長時間練習し出したら、才能の差がぐらいしか差が無くなると思うが、少なくとも今のスポーツ界でそれほど練習をしている競技はないようである。唯一例外だと思われるのは勉強だろう。スポーツではないが、毎日寝食以外のほぼすべての時間を勉強に費やしている人が何人もいるようである。才能の差が問題になるのはそういう場合だけである。

子供を何らかのトップ選手にしたいのならとても若いうちから練習させるべきだろう。若いうちから練習する利点はそれだけではない。例えば、みんなが同時にスポーツを始めたら運動が得意な人の方が上達が早いだろう。しかし、それ以前に血を吐くような練習をしておくことで、スタートラインに立った状態でまわりの同級生にライバルはいなくなる。自分ひとりだけ力が抜き出てる状態になる。それは精神面で物凄いプラスになるのではないだろうか。
まあ子供をトップの選手にしたかったら子供が歩けるようになったら、寝食以外の時間をすべて練習に費やすべきだろう。まずは自分がコーチをするために、理論的なコーチングの勉強をする必要があるだろう。そして効果のある練習を学校へは行かせないで毎日15時間以上15年以上続けていけば、たぶんどんなスポーツでもトップ選手になれるんじゃないかな。
ただ問題は、そうして子供がその競技のトップ選手になったとして子供は幸せを感じるのかということである。たぶん、努力をしてこなかった人から見ればそれは幸せそうには見えないであろう。しかし、やってきた本人としては、選手として成功したことを幸せと思う以外の選択肢が自分の今までの人生で用意されていないので幸せだとおもわざるおえないんじゃないかな。

5月15日の日記

2007年5月15日
世の中クソ過ぎる。今日は朝から最悪だった。

伏線は昨日見た夢だった。昨日は物凄く変わった夢を見た。
ふと目覚めると、天井にゴキブリが数十匹くらいくっ付いてもそもそ動いていた。悪寒と鳥肌を感じながら殺虫剤をとりに布団から出ようとしたところで目が覚めた。天井を見るとゴキブリでは無く黒いシミが点々とついているだけだった。何だ、ホントびっくりしたじゃないか、なんて夢を見るんだ、それにしても気持ち悪かったななどと思っていたら、なぜかそこで目が覚めた。天井を見てみたらいつも見る普通の白い天井でシミは見つからなかった。夢の中で夢を見るなんて変わった事もあるなと思っていたのだがそれは悲劇の序章だったわけである。
朝になって廊下を歩いていたらプチッと音がした。何だと思って下を見ると異臭が漂ってきた。いやな予感を感じつつ足を浮かせたら、下半身が無くなったゴキブリちゃんがもそもそ這い出してきた。唖然としているうちにどこかへ逃げていってしまった。足の裏をよく見るとかかとの部分にゴキブリちゃんが忘れていった下半身がくっ付いていた。トカゲじゃないんだから身を切って逃げるなと思ったとか思わないとか。

結局見た夢はゴキブリを踏むという伏線だったようである。どうせ予知夢を見るならもっと金に絡む情報のほうがよかったですよ。あーそれにしても朝っぱらから最悪である。ゴキブリの分際で朝っぱら人の家の廊下をうろうろしてるなんてホント許せない。動物嫌いの私ですが、猫を飼おうかと一瞬思ってしまいましたよ。自分が踏むぐらいならまだ飼い猫がゴキブリを食べてくれた方がいいです。

5月14日の日記

2007年5月14日
島根の仁摩サンドミュージアムという所に、超デカイ砂時計があるらしい。何でも一年をはかれる砂時計らしい。中の砂は1トンもあり天然の砂を使用したらしい。砂の通る隙間が1mm以下なので数千億ある砂粒に一粒でも大きな粒が混じっていたりゴミが混入していると穴が詰まって砂が流れなくなってしまう。それぐらい精密な砂時計らしい。誤差も半日ほどで、12月31日の昼頃に毎年砂が落ちきるらしい。
すげーどんだけ凄いんだと思っていたのですが、いろいろ話を聞くうちにがっかりしてしまった。まず、砂時計のガラス容器は日本のガラスメーカーでは製作してもらうことが出来ず、ゲルマン職人によって作られたものらしい。ちなみにそのゲルマンの職人さんが会社を辞めたらしく同じ容器はもうドイツでも作ってくれないそうです。
それくらいならまだ許せるが、なんとその一年の砂時計はコンピュータ制御で砂の流量を調整しているらしい。だからうるう年の年もコンピュータに366日とさえ入力すれば、コンピュータが勝手に制御してくれるらしい。
こだわりを持って天然の砂で巨大砂時計を作ったというのに、その砂時計はコンピュータで砂の落ちる量を調整しているなんて興ざめじゃないですか。まあ、上の部屋と下の部屋の温度差で砂の流れる速さが変わったり、そもそもの外気温で砂の流れる速さが変わったりするので、しょうがない措置らしいですががっかりです。

私も新趣向の砂時計を考えて見ましょうかね。遺骨で砂時計とかどうでしょうか。最愛の人の遺灰が3分間を刻みカップラーメンの完成を知らせてくれる。妻に先立たれた夫が、毎日カップラーメンを食べる時に最適です。

5月13日の日記

2007年5月13日
http://www.shinjitsuinfo.jp/superior/
なんか久しぶりに感心するようなHPを見つけた。上のHPは、ネット上で販売されている様々な儲け話のレビューをしている。どれぐらいの割合で仕込みやネタが含まれているかわからないので、ガチでしているのか商売としてしているのかはわかりませんが、商売として上のHPを運営しているとしたら優秀な広告だと思います。
こういった商品を購入する人は、リピーターが多いと言われています。一度でもこういった商品を買っている人の方が儲け話にのってきやすいらしいです。例え前回だまされていたとしてもです。それぐらいプラス思考の人しか儲け話にはのって来てくれません。
上記のHPのレビューは概ね辛口に評価されているうえに、的確な批判がなされています。たぶん、悪い評価を受けている儲け話を買った人は、レビューでされている批判の的確さに感銘をうけるでしょう。そういった人は、上のHPの一部の情報が自分も知っている情報で物凄く正しかったことですべての情報が正しいと錯覚してしまうのではないでしょうか。それで、上のHPで最高の評価がされている儲け話を購入してしまうなんてことなんでしょうか。

ホント、儲け話販売におけるツボを的確についているHPだとおもいました。どんな人が上のHPを運営しているのかね。
そういえば、儲け話に興味の無い私が見ればHPに顔写真を載せている時点で物凄く胡散臭く感じてしまうのに、たぶん儲け話に興味ある人は、顔写真に安心感を持つのでしょう。この差は何なんでしょうかね。出会い系サイトとかでも同じことが言えるのではないでしょうか。

5月12日の日記

2007年5月12日
ドラえもんの声優を務めたことで有名な大山のぶ代は役造りの為にドラえもんと同じ体重129キロに増量したのは有名な話で皆さんもご存知だと思います。それにひきかえ最近の声優ときたらこのていたらくどうなんでしょうか。ひじょうに嘆かわしいです。
そんな暗いニュースばかりのアニメかいに明るい話題が出てきましたね。構想10年、キャラデザインに5年、アニメ化実現までにゆうに30年は要したと言われているアニメが今日とうとう初回を迎えることになりました。まあこれまでのはなしは全部適当な嘘ですが、今日、NHK教育で18:30から「電脳コイル」と言うアニメが始まります。もしこのアニメが面白くなかったら私はどうすればいいのでしょうか。
まあそんなこんなで今日の夕方始まるアニメ視聴にむけて準備が忙しいので今日はこの辺で

5月11日の日記

2007年5月11日
学者はアホなのか、それともまともな学者は露出を控えるもしくは露出を増やしても得るものが無いので露出しないのか。
宝くじは返還率約50%だから挑戦するのはアホと言う意見がある。あほな人ほどギャンブルに期待値を求めようとする。
例えばこんな2種類の宝くじがあった場合あなたはどうするだろうか。1枚300円の従来のジャンボ宝くじと、1枚300円で全部あたりで301円の返還があるくじあなたならどちらを買いますか?一応期待値は、前者0.5前後で後者は1を僅かに上回っている。しかし、この問に期待値なんてものはそれほど重要ではない。重要なのは時間という要素である。もし宝くじを買ってから3ヵ月後に抽選があるとすれば後者の期待値が1を超えたくじでも全然魅力的ではない。年4回の宝くじより、国債の方が沢山利子が付く。では前者の価値とは何だろうか。たぶん、元手X円で3億円を3ヶ月後に稼ぐ可能性の価値だろうと思う。日本にいる99.9%の人は3ヶ月間で3億円を手に入れることは、くじでも買わない限り無理だと思う。生涯賃金が3億円を超える人はかなりいるかもしれないが、3億円の現金を手にできる人は非常に少ない。その価値が今の宝くじには加味されているのだと思う。だから、もし宝くじの一等賞金が10万円だったら例え期待値が0.9だろうが私はゴミだと思う。しかし、宝くじ以外で3億円という現金を手に入れる手段が無い以上、私にとってジャンボ宝くじは価値のあるものである。そういった不可能だったことが可能になる価値の研究をしている人はいないのかね。

このページに、
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20070427/123850/
>だからと言って、お祝い金が受け取れるタイプの民間医療保険が得かと言えば、純保険料の中にお祝い金のための保険料が織り込まれているため、同じ保障内容でも保険料が高くなってしまいます。つまり、お祝い金などは保険会社のサービスやご褒美ではなく、自ら支払った保険料から受け取っているだけのことです。

このような事が書いてありました。本気でこんな自明な事を書いているんでしょうかね。民間医療保険のお祝い金がサービスやご褒美だと思っている人がいるとすればゆとり教育とか学力低下以上に問題があるような気がするのですが。

そういえば、最近公開される太平洋戦争物の映画の予告で愛する人の命を守るために戦った兵士がどうのこうの言っていましたが、結果だけで判断すれば、もっと日本兵や上層部がフヌケだったらあんなにも空爆される前、例えば国内の制空権を守れなくなった時点で降伏して沢山の愛人が空爆で焼け死ななくてよかったんじゃなかったのかなと思いました。愛する人を守るという気持ちの強さが沢山の愛する人を殺す結果になったという皮肉をこめてるんですかね。まあ当時は結果を知らないのでしょうがなかったんでしょうけど、強く思う気持ちが悪い結果を生むなんて、ホント皮肉な世の中ですね。

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